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クレディ・スイスAT1債の無価値化:3か月が経過 – アジアからの視点

22 6月 2023 | Applicable law: シンガポール, 日本 | 8 minute read

UBSによるクレディ・スイスの救済のための買収に際して、クレディ・スイスが発行した数兆円規模のAdditional Tier 1債(以下「AT1債」といいます。 )が無価値となるという前例を見ない事態が発生してから約3か月が経過しました。スイスの金融監督当局であるFINMAによる当該措置は、世界中の投資家や金融当局の非難を呼び、アジアにおいても甚大な影響を引き起こしました。アジア地域の投資家は、AT1債の無価値化による影響を受けた投資家の相当な割合を占めています。ウィザーズは、シンガポールにおける最大規模のAT1債投資家(180以上の投資家、合計数百万ドル規模の投資額)を代理しています。日本の投資家においても、今般のAT1債無価値化により合計約10億米ドル規模の損失を被ったという報告もあります。アジアの投資家への実際の影響はまだ不透明なところがあるものの、AT1債無価値化の措置から約3か月が経過したことも踏まえ、改めていくつかの関連情報をご紹介したいと思います。

禅には、自らと問題との間に距離を置くことで物事がより明確になる、という考えがあります。クレディ・スイスの問題から約3か月が経過し、投資家の取り得る選択肢についても多少なりとも整理が進んだといえるかもしれません。

世界中の多くの投資家が、2023年5月3日に設定された期限までに、スイスの裁判所におけるFINMAに対する行政上の手続の遂行を選択した一方で、アジアの多くの投資家はこの手続を行わない選択をしました。FINMAは、3月19日にスイス政府が発表した緊急令に基づき、クレディ・スイスに対しAT1債の無価値化を指示しました。この措置はスイス憲法を前提とするものであり、アジアの投資家がスイスの憲法に関する主張をどの程度なし得るのか、という問題もあるように思われます。また、上記の行政上の手続がどのように投資家に補償をもたらし得るのかについても、現時点では必ずしも明らかではありません。仮に投資家がこの手続において成功した場合、それはFINMAによるAT1債の無価値化の措置はスイス法に反するため取り消されるべきである、ということを意味する可能性はあります。もっとも、各資金の配分はUBSによるクレディ・スイスの買収条件に従って行われたことを踏まえると、FINMAは、AT1債の無価値化により得られ投資家に還元すべき資金を有しないように思われます。

国際紛争におけるlis pendenceの原則を踏まえると、手元に3本の矢がありそのうち1本しか射ることができない場合には、最も良い矢を射る必要があります。かかる原則は、以下のとおり日本とスイスの間の経済連携協定(以下「EPA」といいます。 )の第94(6)条にも表れています。

紛争投資家は、次の条件を満たす場合には、投資紛争を国際的な調停又は仲裁に付託することができる

(a)   紛争投資家が、紛争締約国の司法裁判所又は行政裁判所若しくは行政機関において、投資紛争の解決のための手続を開始していないこと。

(b)   紛争投資家が、紛争締約国の司法裁判所又は行政裁判所若しくは行政機関において、投資紛争の解決のための手続を開始した場合には、紛争投資家が、当該投資紛争に係る当該手続を撤回すること。紛争投資家は、その撤回に関して、調停又は仲裁への書面による付託に当たり、いずれの締約国の法律に基づく司法裁判所又は行政裁判所若しくは行政機関においても、この章に規定する違反に係る手続を開始又は継続する権利を放棄する旨の記述を当該付託の書面に含めなければならない。

したがって、上記のFINMAに対する行政上の手続を開始した投資家は、EPAに基づく補償を中心とする請求をする前に、かかる行政上の手続を撤回する必要があるということになります。

では、補償を中心とする請求としてはどのようなものがあり得るでしょうか。例として、国際投資法上の不当な収用に係る請求が考えられます。これは、ある国が外国投資家による投資を収用し、その収用が公共の利益を目的とするものではない、差別的なものである、正当な法の手続に従っていない、又は迅速、適当かつ実効的な補償の支払を伴うものではない場合等に認められるものです。かかる不当な収用に対する投資家の保護は、EPAの91条にも明示的に規定されています。

なお、これまでに、二国間の投資協定や自由貿易、経済連携協定に基づく請求において考慮し得るいくつかの興味深い事実が明らかになっています。2023年3月19日、スイス財務省は、UBSによるクレディ・スイスの買収は純粋に私的な取引である旨を公に説明しました。また、当該買収がスイスの銀行セクターを安定させることを意図するものであったとしても、AT1債の無価値化の措置は、その多くがスイスの投資家ではない、株式へのプライベートな投資家を利するのみであったようにも思われます。

また、2023年3月22日付のある文書によると、クレディ・スイスのグループジェネラルカウンセルが、スイス政府に対し、今般の事態はAT1債の評価減の根拠となる「存続に関わるイベント(viability event)」には該当しない旨を伝えたことが示されています。この点は、AT1債の評価減を行う権限を前提にしても、その権限を行使するための法的基準が満たされていなかったことを示唆します。2023年5月には、欧州・中東・アフリカクレジットデリバティブ決定委員会が、(評価減の根拠となる)クレジットイベントは発生していない旨を実質的に決定しました。

報道によると、2023年3月19日付のFINMAによる文書において、米国のシリコンバレー銀行の破綻による世界的な銀行危機とそのドミノ効果による信用低下により、2023年3月初旬からクレディ・スイスはすでに預金引出しに関する深刻な問題に直面し、この問題は2023年3月13日時点でより深刻化していたことが示されていたようです。同文書はまた、クレディ・スイスが2023年3月中旬には流動性の限界に達していたことを示唆しています。これらの点は、2023年3月15日頃に発表された、クレディ・スイスがシステム上重要な銀行に適用される高い資本及び流動性の要件を満たしている旨の公の声明について、説明を求めているように思われます。

そうは言っても、単に標的を射止めることのみが目的ではない場合、最良の矢は必ずしも相手に最大のダメージを与えるものであるとは限りません。二国間の貿易協定においては、正式な条約上の請求手続を行う前に友好的な紛争解決のプロセスを経るべき旨が定められていることが一般的です。EPAの第94(2)条にも次のような規定があります。

投資紛争については、可能な限り、投資家の要請により行われる協議であって、紛争当事者である締約国と投資家との間の友好的なものを通じて解決する。

このように、スイス国はEPAに基づき日本の投資家と可能な限り友好的に紛争を解決する義務を負っています。

かかる友好的な紛争解決プロセスでは、国際的な交渉や調停を行うことができます。交渉や調停は、アジア文化の多くにおいて、紛争解決のために極めて重要な要素です。日本の信義誠実の原則からインドネシアのアダットに至るまで、誠実性の原則は、アジアにおける多くの法慣習において共通して期待されるところとなっています。文化的な観点からは、紛争解決の過程で投資家の信頼性と誠実さを保ち、不必要に極端なことはせず、紛争解決後もビジネス上の関係を維持できるかどうかを検討することも極めて重要たり得ます。積極的な争いは最後の手段であり、アジアにおける多くの投資家にとって実際に取り得る選択肢ではないこともあります。

また、調停プロセスの非公開性は多くの投資家にとって重要です。このプロセスの非公開性は、相手方に個別に紛争を解決することを促す上でも重要といえます。さらに、調停は紛争解決のコストが低いという点のみならず、中立で独立した機関による国際的な手続であるということも重要です。調停の場合は、スイスの司法制度のもとで紛争解決が進められるものではありません。シンガポール国際調停センター(以下「SIMC」といいます。)のような国際的な調停機関は、このような調停を適切に扱うことが期待できます。

調停は、基本的には調停人が関与する交渉である、と認識されているかもしれません。調停人は、裁判官とは異なり、紛争について決定し判断を下す法的な権限を有しません。その役割は、紛争当事者が譲歩の上で紛争解決に至ることを助けることにあります。調停人は、関連分野における知見を有する者、専門家であることが多く、また調停を通じて当事者が他の方法では得られないような視点を得ることを助けます。SIMCは著名な調停人候補のリストを有しています。必要に応じ3人の調停人からなる調停を行うことも可能です。

国際調停は合意に基づいて進められ、厳密な技術的配慮までは伴わないプロセスであること等に鑑みると、関連する二国間投資協定や自由貿易協定のない国の投資家にとって利用し得る唯一の選択肢となる場合も考えらえます。

調停により成立した和解合意は、調停による国際的な和解合意の統一的かつ効率的な枠組みである「調停に関するシンガポール条約」(以下「シンガポール条約」といいます。)に基づき、各締約国で執行することが可能です。同条約の締結過程の記録資料(travaux preparatoires)によれば、商業上の投資家、国家間の紛争がシンガポール条約の適用範囲に含まれることは明確です(ただし、反対の旨を明示的に留保している国を除きます。2023年6月現在、56の締約国のうち、サウジアラビア、イラン、ベラルーシのみがかかる留保をしています)。実際のところ、条約に基づく投資家、国家間の紛争は非公開で解決されることも多く、商業上の紛争に関する国家との調停による和解合意がシンガポール条約の下で強制力を有するに至ることも珍しくありません。

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ウィザーズは、AT1債無価値化の影響を受けた方々をサポートするため、複数のオフィスからなるグローバルチームを編成し、シンガポールからはクロスボーダー紛争を専門とするパートナーのショーン・レオン(FCIArb)及びシンガポールオフィスのジャパンデスク(日本法の資格を有し日本語での対応が可能な弁護士が在籍し、東京オフィスとも緊密に連携しています)が対応をしています。この記事は、いかなる法律上のアドバイスも含んでおらず、法的アドバイスとして依拠されるものではありません。当記事で取り上げた内容に関して当事務所の知見の紹介やより詳細なご説明を希望される方は、ショーン・レオン(FCIArb)又はシンガポールオフィスのジャパンデスクへご連絡ください。

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